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登録文化財の宿としての自館の真の価値を見出すことで、リョカンのミライを拓く-修善寺新井旅館

トップランナー Vol.31
伊豆修善寺温泉 新井旅館 代表取締役社長 相原昌一郎さん


長い歴史を誇り、国の登録有形文化財の宿としても知られる修善寺の老舗旅館、新井旅館。今回はその代表取締役であり、また一般社団法人日本旅館協会ではミライ・リョカン委員会の委員長を務める相原昌一郎さんにお話を伺いました。


創業150年の歴史を有する新井旅館を経営する上で、 どんなことを強く意識していますか


旅館は長い歴史を持つ業種ですので、日本各地に古くからの歴史を受け継いでいる宿が数限りなくあります。

しかし歴史を重ねた建物が文化財として今も残されている例は非常に限られており、そんな稀有な旅館のひとつが当館です。

ただ歴史ある建物であるが故に、快適性という面においては現代の旅行客のニーズを満たしにくいのも事実です。

また時を経た建物にはたび重なる補修が必要な上、当時の設計図面などが残されていないことで、修繕作業を開始してみなければわからないことが多く、一つ一つの作業に驚くほど多大な費用がかかるなど、私が社長に就任したばかりの頃は正直なところ、この文化財登録そのものが経営の足かせになっていると感じていました。

そんな由緒ある建物の価値と、 「今」のお客様への対応を両立するために工夫されていることとは


建物が文化財として価値のあるものだとしても、当館はあくまでも旅館であり、ご利用になるお客様を居心地の悪い環境に置くことはできません。

特に古い日本家屋は寒さを感じやすいこともあって、2022年の秋から半年かけて全客室の窓を断熱性の高いペアガラスに交換することとしました。

今ではなかなか手に入らない「古い手漉きのガラス」の窓を一新することは、ある意味で宿としてのレトロ価値の一部を切り捨てることでもありますから、これにはかなりの覚悟が必要でしたが、熱効率の悪さや隙間の存在、また清掃にかかる多大な手間などを考慮すると、否応なく決断せざるを得ないというのが実情でした。

しかしこの取り組みの意味合いは非常に大きなものでした。
居室の快適性が大幅に向上するだけでなく、大きな一面ガラスとなった窓から見える庭園が、これまで以上に魅力を増すという思わぬ収穫が得られたのです。

それまでは頑なに建物を「守る」ことが私たちの使命だと思いこんでいましたが、この経験によって価値あるものを守りながら、宿としての快適性や魅力のバランスを取ることこそが最も重要なことだと改めて気づくことができ、経営の大きな指針のひとつとなりました。


インバウンドがさらに隆盛する中での、新井旅館としてのお考えは

私が最初に日本旅館協会の観光立国委員会に加わった2014年から、すでに当館では多くの外国人観光客を受け入れていました。

インバウンド活性化の方策として、観光庁ではWi-Fi環境やピクトグラムの整備、多言語化と各種ツールなどの助成を積極的に推進しましたが、当館ではこうした取り組みを一切行っていなかったにもかかわらず、 非常に高いインバウンド比率となっていたのです。

そんな状況を見ながら疑問に感じたのが、単に外国人観光客の求めに応じ、合わせていくことがインバウンド対策の本質なのだろうか、ということです。

実は当館でも今後さらに増大するであろうインバウンドのお客様を見据えて、2018年にベッドとシャワールームを備えた客室を4室整備したのですが、結果から言うとこの客室はインバウンド客からの支持をほとんど得ることができませんでした。

お客様への聞き取りなどによってその原因を分析してみると、当館を選んで訪れるお客様は、日本人、外国人問わず、あくまでも「歴史」「文化」「伝統」を第一に求めていて、なまじ現代的な客室よりも、古い日本の宿としての風情にこそ強い魅力を感じているということがわかったのです。

当館を訪れるのお客様が何を求めているのかをリアルに体感し、こうした方に向けて当館は何を提供すべきなのかを再認識できたという点で、これは非常に価値ある失敗でした。

以降当館では日本人客、インバウンド客を特に区別することなく、「当館の魅力を求めて来館されるお客様」として同列に扱うこととしています。


ブランドをしっかりと確立し、その宿ならではの個性と魅力をお客様と共有する

先にもふれましたが、当館の魅力と価値は歴史を感じられる建物であり、そこにさらに必要以上のサービスを加えることは、ある意味でオーバースペックとなってしまいます。

多くの宿の予約の主力となっているOTAでは、施設・温泉・料理・サービスといったさまざまな項目においての評価点をつけますが、すべての項目で上位の点を取るのは大変なこと。

ただ、私は宿には本来、もっとも訴求したい商品、価値があり、それが開業のきっかけになったはずだと考えています。

当地の滋味深いおいしい食材を食べてもらいたい、最高の泉質の温泉に浸かっていただきたいなどがそれで、これを「創業の理念」と表現しますが、この理念に実直に向き合うこと、つまりすべての評価点で高得点をめざすのではなく「自分の宿はこの点に特化した宿です」と、自館の個性を前面に出すやり方をしたほうが良いのではないかと考えています。

もちろん、創業当時と現状が大きく異なっていることもあるでしょう。たとえば当館などは今では文化財の宿を商品の軸としていますが、当然、創業当時からその目的であったわけではありません。

従って、「創業の理念」は「今の魅力」のあるいは「もっとも得意なこと」でもいいでしょう。それが「価値の明確化」です。

これはまさにブランディングの考え方です。
自分の宿の真の良さ・魅力はどこにあるのか、また自館を訪れるお客様が真に求めている要素とは何なのかを改めて見つめ直し、そこに経営資本を絞り込むことができれば、必要のない業務の削減と効率化を図りながらも高い顧客満足度を維持することも可能になります。

さらに、今や慢性的な課題となっている旅館の人手不足についても、宿として譲れない価値をしっかりと守りながら、それ以外の業務を最大限に効率化できれば、スタッフの賃上げや残業削減などを含めた労働環境をも大きく改善することができるのではないでしょうか。

もちろん地域や宿ごとに個別の事情は多々あると思います。
しかし「昔ながらの手間のかかる接客をいまだに続けている新井旅館でさえ、残業削減と労務効率アップが実行できた」という事実が多くの宿に広まっていけば、きっと多くの旅館の経営改善にも役立てていただけるのではないかと思っています。


世界に通ずる、未来のリョカンを考えるために

日本旅館協会のミライ・リョカン委員会の前身である未来ビジョン委員会では、2023年からの2年間で「この先の未来の旅館にとって必要なこと」という議論を重ね、6項目の提言を作成しました。

そこには食文化の保護や、労働環境改善、多様化や教育や地域に対して今以上の関与を行っていくことを盛り込んでいますが、その最重要項目は「持続可能性の追求」です。

百年続いてきたからと言って、この先の百年も同じように持続していくかと言えば、それは異なります。

たとえばSDGsは2015年から2030年をひとつの区切りとして、これまでの開発からの脱却を求めており、それは当然に宿泊業に対しても要求されています。

また、宿泊業は労働集約型の代表産業でもあるわけですが、今の宿泊業が希望に満ちあふれ、やりがいを感じることができ、憧れられ、選ばれる職業であるかというと残念ながらそれは違います。

これらの現状を正しく認識し、変革を行い、次の世代へ確実に引き渡していく、これが今の私たちに求められています。

そのためには私たちは自分たちの価値を明確化し、自信を持って経営していく必要がありますし、加えて、臆病にならずに利用してくださるお客様にも変革の意思を伝えていく必要があります。

これが日本の特徴的な宿泊形態である「旅館」の持続化への第一歩です。

日本は観光地として世界から注目され続けていますし、この傾向は今後より高まっていくでしょう。

宿泊業はその方々の旅先での生活を支える大事な役割を担っているわけですが、ただ単に寝食を提供するだけでなく、日本の、地域のショーケースとしてこれらの魅力をわかりやすく、ていねいに伝える役割をも担っていると思います。

「地域に生かされ、地域を活かす」、これが旅館の最も重要な役割ですし、地域を訪れる多くの方々に知られ、選ばれていくこと、これは旅館が「RYOKAN」として世界に認められていくことに繋がっていきます。
そのことによって旅館の社会的地位は高まっていくのではないでしょうか。


●プロフィール
相原昌一郎さん
2011年に、明治期以降日本を代表する文人墨客に愛され、建物15棟が国の有形文化財に登録されている修善寺の老舗旅館新井旅館の社長に就任。
また世界に通じるリョカンの未来像を提言する日本旅館協会ミライ・リョカン委員会の委員長も務める。



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