記憶を詩う。|観光マーケティングプランナーのちょっと視点を変えた連載コラム006
仕事柄各地の「街おこし」に関してのミーティングに参加させていただく機会が多い。そこで、話される内容で多いのは、例えば「河原があるから、此処を滞留していただく場所にしよう。」とか、「地域の産物で〇〇菜があるから、これで共通献立を。」はたまた「〇〇が流行っているから、ご当地〇〇の商品開発を。」など、なんとか地域を盛り上げようと、千差万別の御意見が飛び交う。それはそれで面白いのだが。
また、補助金によって街おこしをスタートすると、しばりも多い。よくある例としては●計画書を作成する為の会議費用は補助が付く。●最終的にはハコモノなど見える成果物が必要。●期間内に補助事業の成果を数値で提出・・・などなど。
結局はこの戒めに従いコトをススメなければならず、あたりまえだが、ホントウの街おこし等できようがない。補助金よりも自由になるファンドの方がまだマシである。
私がこうしたミーティングに参加させていただくときに最も大事にしていること、それは「土地の記憶」である。
昨年、山陰の温泉にお邪魔した時、夜の温泉街を歩いた。居並ぶ昭和懐古のお店には誰一人ひやかし客は居ない。街灯とお店から漏れる灯が寂しく通りを照らしている。しかし、目を閉じると数十年前はその通りの夕暮に各宿の色とりどりの浴衣を着た人達の往来と笑い声が聞こえてくる情景が見えた。
「土地の記憶」にふれた瞬間だった。たまたま通りに出ていた店の御亭主にお声をかけると、景気がよろしい頃の通りは肩すれあうほどの賑わいだったという。
そんな賑わいがなくなった理由を様々な土地で問うと、どうも分からない。大きな転換は、団体バスが少なくなったころからというのが何処もおおむねの回答になるが、ホントウの理由はきっとちがう処にある。
これが混沌のはじまりとなり、先にお話した「滞留場所をつくる」とか「共同献立」とか「商品開発」などおさだまりの方向に向かってゆくのだと思う。
あるとき、街おこしのミーティングをしていたら、その温泉の方が大昔の温泉街の写真を持ち出してきた。その写真を見て、急に胸がググッ!となったのを今でも鮮明に覚えている。土石の道路に行交う汗っぽいがモダンな人たち。肩を組む女給さん達。宿の骨組みだろうか建築中の大きな館の前でポーズをとる大工さんの集団・・・。
その写真の中の誰もがニコヤカに笑顔を弾ませている。まるで小津安二郎のシネマの風景がそこにあるようで、熱くこみあげるモノがあった。
それ以来、街おこしのミーティングに参加させていただく時には郷の昔のお写真をなるべく見せていただくことにしている。その写真の中に生きている人々の目が、どうしてこんなに生き活きしていたのだろう・・・。
その理由を知るのは、勿論その郷で生まれ育った皆さんでしかない。それがまさに「土地の記憶」であり、暦のなかでいつしか埋もれてしまった「土地の魅力」の語り部だからだ。
旅人が旅するのは、自分が生まれ育った処ではない郷を訪ねて、その地の色や風や味を愉しむのが本来だと思う。そこに新しさを盛り込むことには、やはり無理がある。街おこしとは、街を改造するのではなく、「街の記憶を、上手に詩う」ことではないだろうか。
勿論「上手に詩う」方法やマナーは、外の力も必要となるが、まずは昔の写真を皆で持ち寄って「街の記憶」をじっくりと辿り、その記憶の中にある先人たちがもっていた「志」をさぐり、懐いていたであろう「夢物語」を綴ることから始められてはどうだろう。
新型コロナの最中、先日ある宿にお伺いした時、「騒動が静まったら、宿の改修と一緒に、土地づづきにある小さな御堂界隈も整美したい。」とおっしゃる。何故ですか?と聞くと「この温泉に来るお客さんが、荒れた御堂を見たら恥ずかしいじゃない。」とお応えになった。
「詩」のはじまりを心で聴いた瞬間だった。
或プランナーの独り言。Vol.006「記憶を詩う。」
※2020/06/03公開の記事を転載しています
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