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日本の貴重な建築物を蘇らせつつ、未来に向けて新たな価値を創造する。 ホテルにおける画期的なビジネスモデル「キュレーションホテル」とは

Vol.009 キュレーションホテル協会 代表理事 澤山乃莉子

日本にはその長い歴史の中で育まれた独自の伝統と美質があります。そんな日本ならではの魅力を持つ古い建物に再び生命を吹き込み、価値あるホテルとして現代に蘇らせる取り組み。それが新たなビジネスモデル「キュレーションホテル」です。

キュレーションとは「目利き」を表す言葉。その名の通り建物に秘められた真価を見出し、日本が誇る建築や文化を蘇らせるとともに、そこに革新的なデザイン意図を盛り込むことで、価値ある「場」として次代へと継承することがその本質です。

日本が誇る美の伝統を未来につなぐ革新的な空間デザインによって、世界でも高い評価を得ているこのキュレーションホテルというビジネスモデルを提唱し、熱海を舞台に3件のホテルをオープンさせた澤山乃莉子さんにお話を伺いました。


これまでにない「キュレーションホテル」という概念


ーこのコンセプトは、どんな背景の中から生み出されたのでしょうか

そもそも私がホテルに深い興味を抱いたのは、日本航空の国際線CAとして世界30 か国 40 都市以上の様々なホテルに滞在し、そこでしか出逢えない貴重な文化やその価値に魅了されたことがきっかけです。

欧州は、まさに文化のパッチワーク。ホテルには地域の文化を明快なテーマできちんと反映したしつらいが施されています。例えば口 ンドンでは同じ市内さえ各エリアごとにカルチャーが異なり、ホテルの建築デザインにはその場所ならではの歴史的・文化的背景が色濃く反映されています。

ホテルとはいわば街の「顔」であり、地域の文化の核であるべきだ。そんな考えをさまざまな経験を通して学び取ったことが、発想の原点になっています。


ー建物が持つ文化的な価値は、どんな風に守られているんでしょう

その後CAを辞した私は、銀座のあるホテルの立ち上げプロジェクトにかかわった後、ロンドンに移住。建築・インテリアのデザインオフィスを主宰し、そこで長い歴史を持つ建物の復元や改築を数多く手がけることになりました。

このロンドンのデザインオフィスで手がけた仕事は、そのほとんどが100年から300年もの歴史を持つ建築を改築し、再び100年の生命を吹き込むプロジェクトでした。

英国では歴史を持った建物は、高い価値を持つものとして日本とは比較にならないほどに尊重されています。復元や改装についても当時とまったく同じ材料を使用し、英国の伝統工法によって施工すること、また外観には手を加えないことなどのとても厳しい制限があり、100 年以上の家や街並みが多くの法律によって未来永劫にわたって守られるようになっているんです。


ー価値ある建物を未来に残すためには、その費用を賄えるビジネスモデルも必要になりますね

日本には世界に誇る美しい伝統建築や意匠、暮らしに根づく伝統工芸があり、海外にいるとこうしたものの価値が、日本にいた時以上によく見えるんです。実際に日本の伝統素材は、海外高級インテリアマーケットでも非常に大きな人気を博しています。

しかしその一方、日本国内では今では再生することが不可能な古い建築や街並みがいとも簡単に壊され、新建材で作られた画一的な建物が主流となっています。時代に合わなくなった伝統の技や工芸品も行き場をなくし、何十年何百年と大切にしてきたものを、この数十年で一気に切り捨てるようになってしまったという現実があります。

私としてはそれを心から惜しいと思う反面、でも今ならまだギリギリ間に合うのではないかという思いもあったんです。日本の素晴らしい伝統を守り、後世や世界に伝えること。それが英国で伝統建築の修復を生業としてきた私の使命だと思いました。

しかしそれには大きなお金がかかるという事実も見落とすことはできません。建築と文化を守り後世に伝えていくには、お金を生むビジネスとして成り立たせる必要がある。そのビジネスモデルが「キュレーションホテル」なんです。

英国ではすでにこの原型となるビジネスモデルが高い評価を得ていましたから、日本でもきっと実現可能だと考えていました。


日本にキュレーションホテルのコンセプトを確立するために


ーどんな理由から熱海という地を選んだのでしょう

10年ほど前から日本での仕事が増え始めたのに合わせ、日本の拠点として選んだのが、新幹線があって東京も近く、国内のどの地域にもアクセスしやす熱海だったんです。そこからロンドンと熱海のマンションを行き来する2拠点生活が始まったわけです。

開放的な海を臨み温泉を楽しめる熱海での暮らしは最高に快適で、本格的に定住したいと思わせるに十分なものでした。将来を見越して少しずつ家探しを進めるうちに、熱海にはまだ素晴らしい日本建築が数多く残っていることに気づいたんです。

そんなさなかで運命的に出逢った建物が、後に「桃乃八庵」となる築88年の元旅館別館でした。


ー最初のキュレーションホテル「桃乃八庵」の狙いとは

キュレーションホテルというコンセプトを伝え、ビジネスモデルを立ち上げるに当たって、まずは「見て」「わかる」カタチとして多くの方にご披露する必要がありました。そこでわが家として見つけたこの建物をキュレーションホテルのモデルケースと位置づけたんです。

「桃乃八庵」のプロジェクトは、5年間放置されて解体寸前だった築88年の元旅館別館を購入するところからスタートしたのですが、ここまで古い建物を復元するためには現在の消防法や耐震基準などに合わせてフルリノベーションしなければなりません。しかも当時の建築仕様を再現できる技術を持つ職人さんを見つけ出すこともできませんでした。

数々の住宅メーカーに相談しても、そのほとんどが「できない」と否定的な答え。ようやく相談に乗ってくれたメーカーからは、想像以上に高額な予算が見積もられ、事業のスタートから困難な船出となってしまいました。

そんな困惑の日々の中、意外なことにすぐ身近にいた地元の工務店と大工さんたちから「できる」との返事をいただけたのは、まさに僥倖でもありまた盲点でもありました。

メーカーを通さずに建物の細部にいたるまでを大工さんや職人さんたちと直接話し、ディスカッションを重ね、時には大工さん自身の工夫も加えたりと彼らの持っている知識や技能を思う存分に振るってもらうことで、ようやく自分のイメージ通りの建物を形にすることができたんです。

またキュレーションホテルにとって、優秀な職人集団、伝統のモノづくりのパートナーは欠かせない存在です。特に家具、伝統工芸分野では、ロンドン時代から長くお付き合いをさせていただいている、日本を代表するメーカーの皆様にお手伝いいただきました。

キュレーションホテルはこうした伝統工芸品や伝統素材などのショーケースの役割もあり、ホテル内での体験をインスピレーションとして、お客様の生活に採り入れていただくことも目指しています。

こうして最初のキュレーションホテルとしてあらゆる魅力を盛り込んだ「桃乃八庵」は、キュレーションホテルのコンセプトを多くの方に見ていただくのに最適な空間に仕上がったと思っています。


ー「須藤水園」「桃山雅苑」はどんな経緯で実現したのでしょう

こうして完成した「桃乃八庵」を多くの方に見ていただく中で、すぐに嬉しい出会いがありました。「桃乃八庵」をご覧いただいた中のお二人がそれぞれご自身が所有する建物をキュレーションホテルとして蘇らせて欲しいとお声をかけてくださったんです。

こうして「須藤水園」と「桃山雅苑」という2件のプロジェクトが並行して進むこととなりました。

「須藤水園」は、築87年の元別荘。当時でも最高級の建築物として贅を凝らした造りになっていました。キュレーションホテルのコンセプトに沿って、各所に使われている当時の素材や構造・間取りなどを徹底的に調査して復元するとともに、100年先までその良さを語り継げる新たな価値を創り上げました。

金と青をテーマカラーとして、淋派を思わせる華やかさと趣を湛える空間に生まれ変わったこのホテルには、伝統的な日本の建築物だけが持つ緩やかな区切り「結界」の考え方が息づいています。またオーナー様が代々蒐集されていた美術品の数々が随所に彩りを添えることで、豪奢な日本の美を心ゆくまで堪能できる空間に仕上がっています。

もう1件の「桃山雅苑」はまた趣が異なり、こちらはもともと保養所として使われていた築40年ほどのコンクリート建築。これを現代的な心地よさの創造をテーマに、地元の間伐材などをふんだんに使った大工さんの手仕事によって木のぬくもりが感じられる空間へと生まれ変わりました。

さらに伝統の寄せ木細工や工芸品など和の意匠の数々と、著名アーティストの美術作品などを組み合わせることで、「和と洋」「昔と今」が美しく調和する美術館のような空間ができあがっています。


キュレーションホテルに滞在されたお客様からの声

キュレーションホテルは、オリジナルの建物が当時どんな目的で建てられたのか、建てた年代や歴史、使っている素材などを基本に、その建物を復元しつつ新たな価値を創り上げることが趣旨ですから、固定された形式というものはなく、つねに建物の価値を蘇らせために最適な趣やデザインを模索しながら創り上げていくことになります。

3つの作品ももちろん同様です。いずれもベースとなった建築物が異なりますから、引き出すべき美質や魅力、価値もそれぞれ違っています。しかしそこにはひとつだけ共通した願いがあります。それはどの建物も、現代の人々にとって心から居心地がいいと感じられるホテル空間を創り上げるという点です。

幸い私が願った通り、それぞれのキュレーションホテルで実際に過ごしていただいた方々からは、建物ごとのテーマを自然に感じ取りながら、心からのくつろぎを堪能してくださっています。

特にシニア年代の方にとってはキュレーションホテルの空間は「どこか懐かしい」と感じられるようです。ここにいると自然な居心地のよさについつい時間を忘れ、ふと気づくといつの間にか半日を過ごしていることから「まるで竜宮城みたい」と言ってくださった方もいます。

また若い世代の方にとっては、この空間の佇まいが「新鮮なもの」として目と心に映るようです。若者の間では近年、かつての日本の文化や美を「自分が出逢ったことのない古くて新しい日本」として好意的に、また大切に受け止める傾向がありますよね。

この2つの年代の間に横たわる世代のギャップにキュレーションホテルが橋を架け、日本の大切な文化を後世へと自然に継承できる「場」となってくれたら、それが私にとっての至上の喜びです。

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【プロフィール】
澤山 乃莉子(さわやま のりこ)
キュレーションホテル協会 代表理事、BABID 英国インテリアデザインビジネス協会 代表理事。
デザインプロデューサー、インテリアデザイナー、家具デザイナー、ホテルデザインコンサルタントなど、建築とホテルビジネスに幅広く関わり、キュレーションホテルのコンセプトの理解と、新たなビジネスとしての普及浸透を主導する。

【会社情報】
キュレーションホテル協会
公式サイト 

※2021/03/31公開の記事を転載しています


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