厄年、右サイドの災難、そしてウエルネスツーリズムへの気づき
まだ厄年があったとは
2024年も、もう半分以上が過ぎてしまった。いやはや、時の経つのは早いものだと、日々思う。
一説によると、ワクワクしたり、ときめいたりしなくなると、時が過ぎるのが早く感じるらしい。そんなことを言われても、どうにもならん、と思いつつ、確かに若い頃に比べて、生活に変化が少なくなってしまった感は否めない。
これを安定と捉えるか、退屈と捉えるかビミョーなところだ。それはそうと、年初に孫の手を引いて訪れた神社で、筆者は今年「前厄」だと知った。
信心深い方からは、ひんしゅくを買いそうであるが、個人的には、そういった類のことは、普段、まったく気にもしてこなかったし、厄払いなんぞついぞしたことはない。
境内の大きな看板を見つめて、「おいおい、この歳でまだ厄年ってのが回って来るのか」と、思った程度だった。平素であれば、これで終了。厄年や厄払いなんてことは脳みその片隅にも残らず、完全スルーが常であった。
しかし、なんだろう、今回は様子が違って、帰り道の車中でも、妙にこの「厄年」がひっかかる。この時点では、筆者に厄年の災難が迫っていようとは知る由もなかった。
次々に訪れる‘右側’の不調
そして比較的長めの正月休みが明けた頃、最初の不調が訪れた。
朝、起きると、右足に軽い違和感を覚えた。「まぁ、一昨日のゴルフのせいだな」くらいの軽い気持ちでベッドから立ち上がろうとしたが、まったく力が入らず、ベッドサイドでゴロンと半回転してしまった。痛みやしびれ感があるわけではなく、ただただ右足に力が入らない。
パジャマ姿のおじさんが、ベッドと窓の狭い隙間でテディベアのような恰好をして動けなくなってしまっているのは、我ながら滑稽で、笑ってしまった。
仕方なく、両足を投げ出して床に座った状態のまま、バックでズリズリ部屋を出て、座ったまま階段を下り、ケンケンでトイレ行き、同じくケンケンで洗面所に行って顔を洗ったところで、「なにを朝からドスンドスンしているのだ」と、家人が不思議そうな顔で覗きに来た。
片足立ちのまま、かくかくしかじかであると説明をしたが、話し終える頃には脱力感も薄らいで、両足で立つこともできるようになった。屈伸をしている間に、家人は無言で洗面所から消えていた。あれはなんだったのか、未だに不明である。ともかく、その日以来、同じ症状は出ていない。
お次は、2月の中旬。瞬きをすると右目に痛みを覚えるようになり、目を開けることも困難になってしまい眼科を受診。症状自体は軽い炎症とのことだが、診察時の視力検査で、右目の視力低下と老眼の進行、乱視もだいぶ進んでいると告げられた。
ひとつひとつ老いが進行している様を、具体的な数値で目の前に突きつけられ、軽くショックを覚えたが、歳も歳なので仕方がないかと、自らを慰めた。これも数日の点眼で治まって、乱視も慣れてしまったせいか、左程気にはならない。
そして4月の上旬。年度末で、立て込んでいた仕事がひと段落した週末。朝、目を覚ますと、右耳に「キーーーーン!」と、盛大な耳鳴りがした。なすすべもなく、右往左往しているうちに、耳鳴りが止まったと思ったら、右耳がまったく聞こえなくなってしまった。
慌てて土曜日に診察してくれるクリニックを見つけて診てもらったところ、典型的な突発性難聴で、症状は重い部類だ、という。
処方薬を数日飲んだが、一向に聴力は回復しなかったので、紹介状をいただき、別の病院で専門医に診てもらった。もうしばらく薬の服用を続けて、改善が見られなければ入院治療、それでもダメなら手術。
でも、完治する人の割合は多くないと、ドクターは血の気が引くようなことをサラリと言う。幸い、徐々に聴力も戻り、2週間ほどで生活には問題ないレベルまで回復したが、あの時は、「このまま左耳も聞こえなくなったらどうしよう」とかなりビビった。
片方の耳しか聞こえない状態で、一番困ったのは、音の方向がわからないことだ。例えば、街を歩いていて、自動車が近づいて来るエンジン音は確認できるが、車がどっちから近づいているのかが、わからない。
また、人と面と向かって会話をしていても、後ろで別の音が聞こえると、目の前の人の声が聴きとれなくなってしまう。さらに、わずかな風の音も全部聞こえてしまうので、終始ビュービューうるさい。なので、街を歩く時は、左耳に手を当てて、終始あちこちをキョロキョロせざるを得ないのだ。
こんな状態で赤坂のアメリカ大使館付近を歩いたら、間違いなく職務質問されるだろうなと、くだらないことを思いつつ、健康でいることの大切さやありがたみを、ひしひし感じた次第である。
振り返ってみると、中学生の時は右足を骨折したり、野球のやり過ぎで右肘を負傷したし、高校生の時には、部活の最中に、右の瞼をざっくり切って、ユニホームを鮮血で染めたりした。どうも身体の右側サイドに厄災が多い。年明けから続いた変調も「もういい歳なんだし、厄年なんだから、いろいろ気をつけろよ」という神様からの忠告だったのかもしれない。
健康をテーマにした旅の姿
幸いなことに、いずれの不調も大事には至らずに済んでいるが、相次いだ身体のトラブルを経験し、ちょっとだけ健康というものを意識するようになった。
特に、疲れやストレスが発症のトリガーになると言われた、突発性難聴を患った時は、大好きな南の島にでものんびり旅行にでも行けば治るのではないかと、真剣に考えたりした。
こうした医療、健康の回復や増進を主軸に据えた、「ヘルスツーリズム」の考え方は古代ギリシャ時代から存在していたようである。日本でも、戦国武将がやって来て戦傷を癒したという言い伝えが残る温泉場がいくつもあるし、一般庶民の湯治もその一種といっていいかもしれない。
「ヘルスツーリズム」という言葉自体が世の中に登場したのは1970年代前半と意外と歴史は浅く、日本では、2007年に施行された観光立国推進基本法の中で、ニューツーリズムのひとつとして取り上げられたことがきっかけで認知されるようになったとされている。
さらに近年では、心と身体の健康にフォーカスした「ウエルネスツーリズム」の考え方も広がっており、旅先でスパ、ヨガやメディテーション(瞑想)、フィットネス、食、レクリエーションなどを通して、心と体の健康を得るという旅のスタイルへの関心が、老若男女を問わず高まっているようである。
先般、東京ビッグサイトで行われたウエルネスツーリズムに関するビジネスショーには、国内外から、美容医療、先端のがんリスク検査サービス、クリニックなどに加え、エリアの特色を取り入れた心身の癒しプログラムを提供する地域団体など多くの出展があり、盛況であった。
身体の変調(特に体の右側の!)が続いている筆者にとっては、どれも興味深い内容ばかりであった。コロナ禍を経て、旅に求めるコトは確実に多様化し変容している。
人生100年時代ともいわれる中で、心身の健康維持・増進に関する社会的なニーズは、高まり続けると思われる。そのような流れとツーリズムを融合させ商品化することは、観光業のみならず、地域全体の活性化にも期待ができると思う。
そんなわけで、今年の夏休みは石垣島に滞在を決め、アクティビティプログラムが豊富に用意されているホテルを選んだ。ちょうど本稿が世に出る頃は、早めのサマーバケーションをいただいて、コバルトブルーの海を堪能しているはずだ。楽しみ楽しみ。
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